春日神社の由緒
元慶元年(877年)天台宗智證大師が勧請したと伝えられています。天保年間に社殿が焼失したため神社伝記類等が無く、創立年月日は定かではないですが、金弊に「元慶元年11月27日」と彫刻があります。そのため春日祭は、毎年11月27日に斎行されています。
春日神社は、もとは神仏習合で祭祀行われ、伝えによれば天王山慶楽寺不動院と一体でした。明治維新により分離して今日に至っており、明治12年12月に神社創立1千年祭を斎行しています。
現在、例大祭には練太鼓2台と子供神輿3基が出御。練太鼓は「あばれ太鼓」とよばれ、近在で有名になっています。
また、氏子中の奉幣、豊栄舞の奉納、奉納子供相撲、餅投げなどの奉祝行事が催され、多くの参拝社で賑わいます。
現社殿は昭和14年5月に再建され、現在に至ります。
あばれ太鼓の由来
あばれ太鼓の由来は、詳らかではありません。大坂の夏祭りの太鼓から、あばれ太鼓につながる手がかりを得たのではないかと思われます。
最初は、和田町が、後になって高田井町が採用したと云われています。和田の乗り手四人の衣装の背中に、それぞれ「天下」、「泰平」、「五穀」、「成就」の二文字があります。文字通り平和と豊穣を奉祝する氏子達の喜びと感謝の表現です。高田井の乗り手の衣装背中には、秋祭りが執り行われる宮ノ本春日神社の社紋「下がり藤」が染めてあります。
乗り手として、戦前は徴兵適齢期の若者が乗っていました。その後、青年、大学生となり、現在は高校生へと変遷しています。担ぎ手は全員腰巻に地下足袋姿となり、二日間にわたり担ぎ通します。多くの太鼓が台車をつけているなかで、あばれ太鼓だけは、人の肩だけで終始担がれています。
宮入り前後において、太鼓を左右に繰り返し横転させる練り合わせは、その名に恥じない姿を披露しています。二台の太鼓・乗り手・担ぎ手にそれぞれ若干の違いがああります。相違を観察していただければ、あばれ太鼓に興味が深まるのではないでしょうか。
秋の日に繰り広げられる祭り太鼓は、農耕文化を連綿と受け継いできている名残と言えます。平成の時代にあっても、なお参加者を惹きつけているのは、太鼓を通じて連帯感や満足感を共有できるところにあります。
他所からの見学者の目に映る素朴で勇壮な太鼓の姿は、新鮮な感動を人々に与えています。春日神社で繰り広げられるあばれ太鼓の勇壮な様をいつまでも維持・発展させていきたいものです。